2021/08/31

価値観の押しつけ

最近,「価値観の押しつけ」という言葉をよく耳にする.この言葉を発するのは,高校生ぐらいから30代前半までの人々です.僕の研究室の学生からも年に1回か2回ぐらいきくことがある.しかし,この言葉を聞く度に何か違和感のような物を感じてしまうのです.


たとえば,パラリンピックを小学生に観戦させるという施策が実施されています.身体に障がいのある人がいろんなことを乗り越えて檜舞台に立つ姿から,これからの時代を担っていく小学生にいろいろと訪れる困難を乗り越えていくときの励みにして欲しい.というような理由からだと思う.これに対して,大人の価値観を子どもに押しつけるな,という発言がでてくる.


そもそも,「価値観の押しつけ」とは何で,何がいけないのか.いろいろと調べてみると,

・自分の価値観を他人に押しつけること

・この行為が良く無いとされる理由は,人それぞれ考え方も感じ方も違うから

である.

「価値観の押しつけ」は,あまりにも愚かで非生産的とまで言っている人もいる.


さて,自分の子ども時代からのことを振り返ってみると,ほとんどすべてが「価値観の押しつけ」だったような気がする.

・夏休みの登校日に原爆の体験談を聞かされた(広島に住んでいたから)

・クラスに障がいのある子どものために指文字をやらされた

・勉強の何が良いかも知らされずに勉強させられた

・望んでもないのに習字をさせられた

といろいろと考え出すと枚挙に遑がない.そして,大体において,そのとき,めんどくさいとか他にもしたいことがあるとか,何らかのストレスを感じる状況にあった.


そう考えると,「価値観の押しつけ」は,単なる良いわけではないかという気がしてくる.

もちろん,押しつけられたときは,ストレスを感じるわけで,すなわち,そのとき瞬間的にに良かったと思うことはほとんどない.だけど,10年ぐらい経ってみると,この押しつけのせいで,例えば,原爆のことを真剣に考えるようになったし,指文字で会話ができるようになっているし,基礎があるおかげで勉強も楽しくできる.100%良かったということではないけど,結構たくさん良いことがある.いずれも,「価値観の押しつけ」は,きっかけを与えてくれていた.


極端に考えて見るとわかりやすいのだけど,押しつけられずに個人尊重の名のもとに,子どもの価値観のまま大人になったらどうなるのか想像に難くない.


研究室の学生にはよく言います.分かれ道があって,一方は華やかな道,他方は棘の道.でも,華やかな道は,その先の曲がり角を曲がると崖しかない.棘の道は,しばらく我慢しているととても素敵な道が広がっている.若い人は,手前しか見えてないけど,年齢を重ねた諸先輩方はその先を経験している.だからこそ,棘の道を行きなさいと言う.もちろん,やり直しのきく社会だから,崖を見つけて引き返して,棘の路に進む方法もあるけど,時間的なロスが大きくとても非効率.効率が良いと思って取り組んでいたのに実は非効率だった.


歳や経験がある人は「価値観の押しつけ」をすることが義務なのではないかと思う.若い人は,めんどくさいとおもいながらも聞いていると,案外良いことが多いと思う.

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